リュックサックを背負ったように見える模様があったので、ユキノは、その猫にリュックという名前をつけた。リュックは、恋人が住んでいたアパートの、壁の中から出てきた。
はじめユキノの恋人は、どこかの部屋でこっそり猫を飼っているのだろうと思っていた。けれども泣き声は、押入の奥のほうから聞こえてくる。彼の部屋はアパートの端にあって、押入のむこうに部屋はなく、外壁のむこうは階段になっている。それで彼は、壁の中に閉じ込められているのかもしれないと思い、休みの日に、大家に連絡をした。猫の泣き声は大家にもやはり壁の中から聞こえた。すぐに業者を呼んで、壁に穴をあけることになった。果たして壁の中から、まだ目を開けたばかりの子猫が出てきたのである。
ユキノも恋人も、猫が好きだった。しかし彼のアパートでは猫を飼えないし、ユキノは寮に住んでいる。それで彼女は、子猫を実家へ連れて行くことにした。
実家では長いあいだ猫を飼いつづけてきた。小学生だった兄が拾ってきた野良猫を皮切りに、生まれたり死んだりをくり返し、もっとも多いときには七匹の子猫がいた。ユキノにしても、恋人にしても、その家にはいつだって猫がいる印象がある。けれど今は飼っていない。それで実家へ連れて行き、ひとりで暮らす母親に頼んでみた。
しかし母親は、もう猫は飼いたくないと言う。当然だが、生あるものはいずれ死ぬ。今まで何匹もの猫が死んでいった。それでなくても、なぜか猫がやたらと寄りつく家で、見知らぬ野良猫がベランダの下で死んでいたことが二度ある。さらに、隣家の女性が猫嫌いである。はっきりと目にしたわけではないが、猫をいじめているのでは、となんどか思わされたことがあった。
そうはいっても、母親だって猫が嫌いなわけじゃない。壁の中にいたかわいそうな猫だと言われ、まだ目を開けたばかりの、貧弱な子猫を目の前に差し出されれば、まさか持ち帰れとは言えない。
母親は、今までいた猫にはしたことのない去勢手術をして、なるべく外に出さないようにした。そのせいか、あるいはアパートの壁の中にいたからなのか、リュックは今まで飼った中でも一番の甘えん坊に育った。母親のまわりを離れず足もとにまとわりつき、トイレにまでついていく。しばらくすると、母親はリュックを外に出すようになっていた。はじめは外出しているあいだだけだったが、猫は好奇心の塊である。家の中だけで飼えるような広さもなかったし、今まで飼っていた猫はみなそうだったから、ごく自然なことだった。帰宅した母親が駐車場に車を入れると、リュックは毎回どこからかさっと現れ、彼女の顔を見あげながらにゃあにゃあと鳴いた。なにしろ母親にまとわりついては、にゃあにゃあと鳴いてばかりいる。ほんとに、うるさくてしょうがないとユキノに言ってから、母親はリュックのほうを見て、あなた、もうすこし静かにしなさいよと、子どもを叱るように言った。
そうして二年を過ごしたある日、ユキノの仕事場に、母親から電話があった。午前中で、仕事時間に電話をかけてくる人ではなかったので、彼女はすぐに電話をとった。
リュックが死んじゃうの、と母親は、消え入りそうな声で言う。
話によれば昨日の午後、彼女がテレビを見ていたとき、窓の外から、ぎゃっという猫の声がした。外に出てみたらベランダでリュックがぐったりと倒れている。慌てて病院に連れて行くと、骨盤から足にかけて骨折し、内蔵にも損傷があった。車に轢かれたか、そうでなければ大きな石に潰されたような状態だと獣医は言った。できる治療はするけれど、助からないだろう。母親はリュックを連れ帰り、毛布の上に寝かせた。
翌朝、やはりリュックはぐったりとしたまま、それでも静かに呼吸していた。食事を作っていると、にゅあと鳴いた。抱きあげて、母親はずっと胸のなかでリュックを撫でつづけた。猫の呼吸音はしだいに細く小さくなり、そのうち冷たくなってきた。ああ、ほんとうに死んじゃう、そう思ったら、なんだかわからない、自分ひとりで抱えるには、あまりにも大きすぎる心持ちに潰されそうになってしまった。それで娘に電話をした。
明日、行くから、ユキノはそう言って、電話を切った。その数分後に、リュックは母親の腕のなかで死んだ。
それからまた二年くらいして、ユキノが実家へ行ったとき、リュックの話になった。甘えん坊のリュックが鳴いてばかりいて、どこか賑やかな雰囲気のあった家が、今ではひっそりとして静か過ぎるような、さみしい感じがした。それでユキノは、また猫を飼ったらどうかと言ってみた。けれど母親は、もう絶対に飼わないと言う。事の真相はわからない。母親は、隣家の女性がリュックを殺したと思っていた。庭にいるリュックを捕まえて、ベランダにむかって放り投げたにちがいない。もちろん鳴き声で迷惑をかけただろうから、恨むつもりはない。なににしても、とにかく、もう猫は飼いたくない。
もちろんユキノに、無理強いする気持ちはなかった。どうせそのうち、またベランダに野良猫が来るようにあって、かわいそうだからと飼うことになるだろうと、そんなふうに思った。今までがそうだったように。
その晩ユキノは、猫の夢を見た。
夢のなかでも眠っていた彼女は、左手がむずむずするので目を覚ました。左手の指先に、子猫がじゃれついている。寝転がったまま、甘噛みする子猫を指であやすようにしていると、右手のほうにも、ちがう子猫がきた。気がついたときには子猫が六、七匹いて、ユキノの両手でじゃれ、噛んだり引っ掻いたりしている。頭をあげて見てみると、どの猫も怒ったような顔をしていた。単純な漫画に描かれる怒った表情に似て、下弦の半月みたいな目で、必死になって噛みついている。もちろん子猫だから痛くはないし、なによりユキノは、そんな猫たちの様子をなんだか可笑しく感じた。じゃれてくる猫の感覚も懐かしく、しばらくのあいだ、そのままにしていた。
それからふいに、足もとのほうで気配がした。頭をあげて見ると、黒くて大きな影が、足もとから立ち上がってきた。自分とおなじくらいの大きさがありそうな影を見て、とっさに彼女は、猫だろうと思った。やたらと大きいから、猫の親分なのかもしれない。そんなことを思っているうち猫の親分は、ユキノにじゃれつく子猫たちを威嚇して、蹴散らした。そうして自分も、すうっと姿を消してしまった。
目が覚めてユキノは、やたらと現実感のある夢だったなあと、思い起こしてみた。あの猫の親分はきっと勘ちがいをしたのだろう。子猫たちが私のことを攻撃していると思って、追っ払ってくれたのだろうと、そんなふうに思った。
居間へ行くとすでに母親は起きていて、ちょうど朝食の準備ができたところだった。テーブルについたユキノが、たったいま見た夢の話をしようとすると、母親のほうが先に口を開き、夢を見たの、と言う。その夢の内容が、ユキノの見た夢とまったく同じだった。それで驚いたユキノが、興奮気味にまったく同じ夢を見たと言っても、母親のほうに驚いた様子はない。じつは最近になって、なんども見る夢なのよ、そう言って、真面目な顔のまま母親はつづける。
足もとから大きな猫が出て来たでしょう、あれね、リュックじゃないかと思って。
母親によると、リュックが死んでしまってから、ベランダにまったく猫が来なくなったと言う。今までは飼っている猫が死んでしまうと、まるでそれを待っていたかのように、きっと次の猫が現れた。でも、もう二年も経つのに、一匹も見かけない。
たぶんリュックはまだこの家にいて、ほかの猫を寄りつかせないようにしてるんじゃないかしら。
甘えん坊だったリュックを思い出してユキノは、ああ、そうかもしれない、と思う。それが母親にとって、いいのかわるいのか、わからない。母親を守っているような気もするし、誰にもとられたくないと、駄々をこねている子どもにも思える。どっちにしても母親が言うように、リュックはまだこの家にいるのだろう。ただ残念なことに、母ひとりが暮らす家で、あんなに賑やかに感じた鳴き声は、もう聞くことができない。
# by kgnote | 2012-05-20 01:41 | ・フランクコレクション | Comments(0)
私はなかなか思いだせずにいた。もちろん記憶喪失ではないし、惚けたわけでもない。と思う。ただ思いだせなくて、困っている。
とりあえずテーブルにあった煙草に火をつける。レールのないカーテンをたくし上げ、磨りガラスの小窓を押し開ける。すっと部屋が息を吸いこむように、ひんやりとした風が入ってきた。朝の光はぎこちなく、遠慮がちに隅だけを照らす。ごおごおと電車の走ってゆく音が聞こえる。電車。そう頭のなかで言ってから、しばらく泳がせてみた。けれど思いだすよすがにはならない。
窓は斜めにすこししか開かないから、外の景色はほとんど見えなかった。上のほう、わずかに空が見える。掃いたような薄い雲が広がる淡い色の空。その下に鉄道高架のコンクリートと、ビルの壁。手前には黒い線のからまる電信柱のあたまと、ポリバケツみたいな形の変圧器。それが変圧器だと知っているのは、教わったからだ。でも誰に教わったかなんてもうおぼえてはいない。思いだす必要もないくらい、ずっとずっと前のことだ。
窓のむこうへ吐きだしたつもりのけむりが、部屋のなかに戻ってくる。風に押し戻されて向きを変える。二口ほど煙草を吸いこむと舌の先がぴりぴりした。煙草のせいか朝だからなのか、貧血に似た軽いめまいがする。
窓から離れ、薄緑のビニルソファにすわった。もう消してしまおうと思って灰皿を眺めながら、また吸いこむ。この一本を吸い切ってしまうまでに、思いだそうと決める。
ソファからは部屋をすっかり見渡すことができた。どんと部屋のほとんどを占めるベッドには、男が横になっている。剥いだシーツを体に巻きつけて、壁のほうをむいて眠っている。掛け布団と毛布は足もとから下にずり落ちて、まるくなって洗濯されるのを待っている。男はぴくりとも動かない。寝息も聞こえない。
私は煙草を挟んだ指を掲げるようにして、ソファに体を沈めた。テーブルに足を投げだす。それから気がついて、いったん起きあがる。灰皿を手にしてから、もういちどソファに体をあずけた。ソファはどこかの待合室みたいに無愛想だ。けっして誰の物にもならないと覚悟して、じっと押し黙って体をかたくする。
まるまった布団のむこう、ベッドの脇に、腰くらいの高さの黒い台がある。台には映像再生機らしい機械が収まって、その下はがらんとした棚になっている。上にはテレビが載っている。テレビを見たおぼえはあった。どこか地方の工場を取材した、ぱっとしないドキュメンタリー番組だった。
これといった特徴のない、と落ち着いた口調のナレーターは言っていた。どこにでもありそうな町中の工場で、ひっそりと宇宙船の部品が作られているらしいのです。それもここで作られる部品は、世界中どこを探しても作っていません。だからもしこの工場がなくなったら、宇宙への扉は完全に閉ざされてしまうのです。
まったく興味のない、私にとってはどうでもいい話だったが、なぜか番組が終わるまでずっと見ていた。もしかしたら男のほうが見たがったのかもしれない。でも思いだせない。男といっしょにテレビを見たのかさえ、よくわからない。
工場内部は撮影禁止だった。顔をぼかされた工場長らしき男性は言った、工場のなかを見せるわけにはいきません。見せたら大変なことになりますよ。ほんとに。私の首が飛ぶだけじゃ収まりません。冗談じゃない。
工場や工場長だけではなく、移動する取材班一行のまわりの景色もほとんどぼかされて、なんだかわからない映像ばかりがつづいた。クレヨンで書いた絵を念入りに指でこすったみたいに、すべては曖昧でよくわからなかった。私の頭のなかといっしょだ。すべてがぼかされて、なにひとつ判然としない。
部屋にはソファと並んで、ちいさな冷蔵庫がある。その上のトレイには玩具みたいな湯沸かしポットがあって、カップと粉末のコーヒー、紅茶と緑茶のティーバッグが、それぞれふたつずつ揃えてあった。どれもたしかな現実なのに、まったく現実味がない。ホテルだから生活感がないのは当然だとしても、ずっと遠くに感じる。どこにでもありそうで、どこにあるのかよくわからない物たち。テーブルも灰皿もソファもベッドもそう、どれも宇宙船の部品と変わりない。ぼやけた町の曖昧な工場でひっそりと作られ、誰にその名前を知られることなく、無限の空間をさまよいつづける。
腹にのせた灰皿に、灰を落とす。もう半分も吸ってしまった。煙草を口にくわえ、テーブルから足を下ろしてゆっくりと起きあがる。薄いカーペットもぎこちない。男が目覚める気配はまったくなかった。やっぱり死んでいるのかもしれない、そう思って、はっとした。どうして気づかなかったのだろう。死んでるんだ。もしかして私が殺した? でもどうして。どうやって。私が?
人はあまりにも強烈な出来事に接したとき、その事実を記憶の奥底に封じ込めてしまうという話をどこかで聞いたことがあった。すると記憶がないのは自己防衛だ。いや、まさか。そう口に出した途端、ふいに足もとから現実がせりあがってきた。カーペットの下のコンクリートが冷たい。自分の声が目のまえの光景に色をのせ、温度を与え、輪郭を描く。くわえたままの煙草のけむりが目をさす。煙草を指に挟んで、ぎゅっとまぶたを閉じる。ごおごおとレールのうえで軋む電車の音が聞こえた。走る車の音。ぼんやりと生ぬるい朝の喧噪。目をこするとぬるりとした涙で指がすべった。
洗面台で鏡にむかう。鏡は大きく天井まで伸びて、ほとんどを壁と天井ばかり映している。私は大きめのTシャツを着ていた。下着はつけているがブラジャーはしていない。排水口に煙草の灰を落とす。このTシャツには見覚えがある。青を基調に、水たまりに見える模様がところどころにあって、すこしずつ濃淡が変化している。たしかにいつか着たことがあった。でもそれがいつのことなのか思いだせない。そもそもベッドで眠っている男は誰なのだろう。たとえ会ったばかりの知らない人だとしても、いっしょにホテルにいるくらいだから、なにかしら記憶があってもよさそうなのに。
鏡にむかってけむりを吹きかけると、鏡面のわずかに手前で嫌がるようにふわっと八方へ散った。けむりのせいか涙目のせいなのか、視界がぼやけ、また現実感が薄れてゆく。しだいに、なにもかもどうでもいいことに思えてくる。ベッドの男が誰かなんて、思いださなくていいと思う。鏡に映った他人みたいな自分にむかって、私は頭のなかで話しかける。眠っていようが死んでいようが、知ったことじゃない。どうして自分がここにいるのかなんて、どうでもいい。そう言い聞かせているうち、しだいに腹立たしさが込み上げてきた。
私を取り巻く世界は、いつだってわからないことばかりじゃないか。ビニルに包まれた歯ブラシを手に取って、そのまま足もとに落とした。消毒済と印刷されたビニルを剥いでグラスをカーペットに落とす。もちろん、なにもかもすべてぜんぶわかりたいなんて思わない。わかるはずがないし、わかることばかりじゃない。そのくらいのことはわかる。だとしても私は自分の世界をどうしてこんなにも遠くに感じるのだろう。クレヨンの景色を念入りに指でこすってしまったみたいに、輪郭すら覚束なくて、たしかなものがなにひとつない。蛇口レバーを押しあげ、水を出す。気味のわるい肌色をしたプラスチックのブラシを後ろに放る。やたら大きなドライヤーを持ち上げ、コンセントを差し込んでスイッチを入れる。いま自分がしていることは、ちゃんとわかる。ただその感触があまりにも希薄で、ほんとうに自分がしたことなのか、わからなくなってしまう。バスタオルをぱっと背後に放り投げ、フェイスタオルを手にする。すこし迷ってから、浴室の扉を押し開ける。
飛び出したシャワーの水は冷たい。喩えではなく目の覚める思いがして、ほっとした。レバーを赤いほうへ倒してから、思い直して青いほうへ戻す。裸になって、シャワーが浴槽へ注ぐように向きを変えた。タイル張りの浴室は天井が高くて広かった。まわりを石材で囲んだ浴槽も大きく、どっしりとした雰囲気がある。それでも窓がないので、なんとなく窮屈な感じがする。
私は浴槽に足を踏み入れ、屈みこんだ。ちょうど頭の上にシャワーがあたり、濡らす髪に重みを含ませてゆく。そうして動かずにシャワーを浴びていると、ざんざんと降り注ぐ夏の雨に打たれている気がした。いつかそんなことがあったのかもしれない。髪を伝う滴がぴとぴとと体に落ちてくる。
シャワーの雨のむこう、扉のむこうからは、陶器製の洗面台を打つ水音がした。水揚げされたばかりの無数の大きな魚がびちびちと跳ねつづける光景が浮かぶ。ドライヤーの単調なモーター音は壁に響いて重たく伝わってきた。温風はなにを温め、乾かしているのだろう。
その時になってようやく、自分が煙草を持っていないことに気づいた。けれど動揺したのは一瞬だった。感情は頭から降るシャワーにぐいと抑えつけられて失せてしまった。私はぼんやりとした頭で思う。いつのまに煙草を手放したのだろう。火を消したおぼえもない。洗面台にあった重さも存在も軽い物たちといっしょにカーペットへ放り投げたのかもしれない。でも、もうどうでもいい。けっきょくなにも思いだせなかった。そもそも思いだすことなんて、なにもなかったのかもしれない。いま自分がここにいることすら訝しむくらいだから、記憶なんてどこにもないにちがいない。
そのうち扉の隙間から、おびえたように遠慮がちな煙りが浴室に顔をだして、ちいさく挨拶をする。落とされた煙草のせいでぶすぶすとくすぶっていた安物のカーペットは妖精が踊るように燃えはじめる。妖精がステップを踏むたびに煙りがあがり、しだいに大きくなるダンスは炎となって手あたりしだいカーペットを舐め、ゆっくりと広がってゆく。ビニルやプラスチックはぽっと小さな炎を合図に溶けて形を失う。繊維は大人しく灰となって崩れる。壁紙がきゅるきゅると身をよじらせ、我慢しきれずにぱきんと割れた鏡が破片を散らす。剥き出しになった合板が吐いた真っ黒いけむりは部屋を満たし、ちいさな窓が懸命に呼吸をする。ベッドに舌を伸ばした炎はシーツにくるまれて眠ったままの男を取り囲む。するすると近づいて、優しく包みこむ。
それでも私は、ただ水を浴びつづける。過去も未来もなく、滴の音をひとつひとつ追いかけて、濡れて重たく沈んでゆく。なまぬるい夏の雨を思いだし、湿ったアスファルトのにおいを鼻の奥で感じながら、人影のない路上で、いつまでも濡れつづける。そのうち連なる水音はつながって、波のようにうねりはじめる。なにも思いだせない。私は水のなか深いところで、そう言ってみる。言葉も声もぷくぷくとした泡になって離れてしまう。思いだす事柄なんてひとつもなかった。ぷくぷく。私は自分の記憶を見ることができない。ぷくぷく。
そのとき頭のなかで、宇宙船の部品を作る工場長の声がした。顔のない誰なのかわからない人が、なかを見せるわけにはいきませんと言う。みんなの頭のなかといっしょです。見せたら大変なことになりますよ。ほんとに。
ふっとドライヤーの音がやんだ。ぺたんと蛇口レバーが倒され、洗面台の水音も消えた。それから扉越しに、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。大丈夫か、とその声がつづける。
ああ、と私は声に出して息をつく。暗い倉庫の蛍光灯を点けたみたいにぱちぱちと光の筋が走って、頭の中が明るくなる。思いだした。ゆったりとした水のなかで、その声を思いだした。男の顔を思いだし、名前も思いだした。自分が結婚していたことを思いだした。
顔をあげると、濡れた髪の毛がぺたりと額に貼りついた。シャワーの水滴がぱつぱつと唇を打つ。自分の体温を感じ、夕立に打たれながら歩いた夏の午後も思いだした。スーパーマーケットで買物をした帰りだった。両手に下げた大きな二つのビニル袋が、雨のせいかひどく重たく感じはじめ、気がつくと通りには人の姿もなくなって、ぽとんとひとり取り残されたような気分になった。じゃっと水しぶきをあげて通り過ぎる車が私を笑い、雨粒は砂利みたいに強く激しく降り注いだ。なす術もなくびしょ濡れで、それまでがんばって持っていられたビニル袋を放り投げ、その場に屈みこんでしまいたくなった。そのとき目の前に、彼が現れた。大きく広げた傘を差し出して、笑顔で、私の名前を呼んだ。
きゅうと鼻の奥が痛くなって、涙があふれてきた。大丈夫か、入ってもいいか、と彼が言う。なんども私の名前を呼ぶ。うんうんと私は、その声にちいさくうなずく。うなずくたびに暖かな涙がぽろぽろと落ちる。いままで浴びた雨がすべて涙になってあふれてきたみたいだった。そうとしか思えなかった。
シャワーはやんだ。でも涙は、いつまでもとまらなかった。
# by kgnote | 2012-05-17 00:08 | ・フランクコレクション | Comments(0)
爺さんは言う。虎に咬まれたことがあるからな。
そんな夢を見たんでしょう。婆さんは言う。
でもお前だっておぼえているだろう、と爺さんは食い下がる。あの夏、裏山から虎が五頭も逃げ出したじゃないか。三日のあいだ虎たちはあちこちうろついてたんだ。腹を空かせて、おびえながら、居場所を探してな。
言いながら爺さんは、腕をあげて裏山のほうを指さす。婆さんはちょっとだけ顔をあげて、しかし爺さんではなく窓の外、庭のほうを見る。そうしてすこしだけ思い出すように目を細めてから、湯呑みに手を添える。
あんな小さな動物園で虎なんか無理だったんですよ。婆さんは茶をすすりつつ応える。湯呑みをおいて、すっと背筋を立て、大福に手を伸ばす。ひとつつまんでから、おいしいですよ、どうぞ、と菓子皿を爺さんのほうへ滑らせる。
目の前に差し出された大福を、爺さんはじっと見つめる。
なんだ。
大福ですよ。言いながら婆さんは、大福を一口かじる。
大福って。小さいじゃないか。
小さくたって大福って言うんです。婆さんは微笑みながら残ったひとかけを口に放り込み、言葉をつぐ。もらいものですよ、お隣さんから。どこでしたか。旅行に行ったと言ってました。
うん、と爺さんはうなずいて、大福をひとつ、つまむ。それから咳をする。のどの奥のほうで、ざくざくと米を研ぐような音をさせる。
やめたほうがいいんじゃないんですか、と婆さんが言う。
大福を頬張ってから、なにが、と爺さんは訊く。
煙草ですよ、と婆さんは子どもをたしなめるように言う。
ああ、と爺さんは、なにかと思えば今さら、といったふうに返事をして、大福をすっかり飲みこむ。それから、わざと元気そうに言う。
でも俺のほうが元気だがな。そう言ってから、昨日も言ったような気がしつつ、おなじ台詞をつづける。あれか、テレビで言う、副流煙とか言うやつか。わるいことしたな。
そんなこと関係ないですよ、と婆さんは応える。昔はみんな吸ってたじゃないですか。男も女も。それに私のわるいのは、肺とか喉じゃないんですから。
うん、と爺さんは力無くうなずく。まったく昨日のくり返しだと思うが、口には出さない。それから、なにかちがう話題を探そうと首をまわし、病室を見わたす。
三人部屋のベッドには婆さんのほか誰もいない。カーテンが束ねられ、毛布の畳まれたベッドは、まるで誰かを待つような恐怖と、誘うような郷愁を漂わせている。それで、また爺さんは言う。
でもなんだって、あの虎は俺を喰い殺さなかったんだろうな。
なんども耳にしたその台詞を懐かしく感じながら、婆さんは枕にのった頭をずらして、すこしだけ爺さんの顔を見る。それから頭を戻すと、べつの話題を持ち出す。
熊のニュースやってましたね。
返事の代わりに爺さんは、ちいさくため息をつく。
熊にはわるいですけど、また春が来たんだなあと思いますよ。
そうだな、と爺さんはあきらめたようにつぶやく。おまえは桜が好きじゃないもんな。
だって葉っぱがないんですもの。婆さんは叱られた子どもみたいな口調で応える。やっぱり花だけってのは、なんだか気味がわるいような気がしますよ。
うん。そうだな、と爺さんはうなずきながら、いつからだろう、と思う。里におりてきた熊が、あたりまえのように射殺されるニュースが流れるようになったのは。いつからだったろう。
でも大丈夫ですかねえ、と婆さんが言う。不意を衝かれたように、なにが、と爺さんは返す。
あなたですよ。そう言った婆さんの声はしだいに遠くなる。
だいたい残されるのは女の人のほうで、なんとかやっていけるんです。
女は強いからな。ちいさく言って、爺さんは苦笑する。
ええ、そうですとも。冗談めかした婆さんの声は、さらに遠くかすれてゆく。煙草は今さらやめられないでしょう。よくはないけど、でもその代わり、もうちょっと外に出て散歩するとか、人とお話ししたほうがいいと思いますよ。あなた、いつもお家で本ばかり読んでらっしゃるでしょう。お庭に出たかなと思ったら、縁側で煙草をふかして、また引っ込んじゃう。嫌がるとは思いますけどね、ホームですか、デイサービスでしたか、そういう場所で、みなさんとお話しする機会も、毎日とは言いません、でも時には、あったほうがいいと思いますよ。そうそう、それにね。
今日の婆さんはいつになくよく喋るな、そう思いながら爺さんは、言葉の継ぎ目でうんうんと大人しくうなずく。婆さんだけじゃないな、と思う。最近は色んなものたちが自分に話しかけてくる。でもそんなことは婆さんには言わない。いらぬ心配はさせたくない。あの虎のやつも、と爺さんは、つらつらとつづく婆さんの声を耳にしながら思う。俺に咬みついたとき、なんか言ってたなあ、と思い出す。
やたらと暑い日で、夕方くらいに銭湯に行って、その帰りだったかなあ。まだ婆さんと知り合うまえだった。ずいぶん昔のことなのに、よくおぼえてるもんだ。
遠ざかった婆さんの声は、そのうち消えてしまう。しだいに遠く、ちいさくなって、もう聞こえない。
爺さんは音を消したテレビを点けっぱなしに、茶をすすりながら煙草を喫んでいる。布団を外した炬燵テーブルのまん中には、ガラスの灰皿と急須がのっている。畳んだ新聞と眼鏡はテーブルの隅に押しやられ、煙草とマッチ、湯呑みは、すぐ手の届くところにある。あぐらをかいた膝のあたり、畳のうえに、小箱に入った六個の大福がある。包み紙が二枚、箱の上で反り返っている。
テレビ画面には、得意げな表情で銃を担いだ狩猟者が映っている。ガラス戸のむこう、街路灯の下で、隣家の桜がひっそりと散る。けれど爺さんはなにも見ていない。ひとりでうなずき、時折につぶやく。ぐいと腕を伸ばして、灰皿で煙草を揉み消す。
家はたっぷりとした夜に浸っている。庭の枝葉はしっとりとした夜露に頭を垂れる。カーテンのない窓が灯りをこぼし、どこまで沈むのかわからない潜水艦のように音もなく漂いながら、ゆっくりと小さくなってゆく。そのうち、まっ青な海に似た夜空が広がる。波頭のような雲が連なる。
そのてっぺんに、ぽっかりと大きな満月が浮かんでいる。どこかの家から、子どもの笑う声が聞こえる。光は遠ざかり、そのうち夜に呑まれてゆく。
# by kgnote | 2012-05-12 02:18 | ・フランクコレクション | Comments(0)
先日、ヌルマユ永井のライブに行ってきました。
と言っても、ライブレポートではありません。ただの私的な日記ですので、ご承知のほどを。
ライブ会場は、愛知県の蒲郡です。いま自分が住んでいるところから高速道路を使って、およそ一時間ほど。この日は天気予報のとおり雨で、昼すぎまで雷も光っておりましたが、夕方ちかくにはすっかり晴れました。願いが通じたのか、ふだんの行いがよいのか。どちらにしろ、オートバイの機嫌もよい。
しかし、やはり連休最終日なだけに、高速道路はちょっとした渋滞。やむなく、ずらっと並ぶ車の脇をすり抜けて、音羽蒲郡インターで下り、有料道路を通って、蒲郡市へ。ちなみに音羽蒲郡インターがあるのは豊川市で、有料道路の途中から蒲郡市になりました。インターから有料道路のあたりは、山なのか山のそばなのか、あるいは雨上がりだからなのか、けっこう寒かった。
ちょっと体が冷えたので(すぐ冷えるのです)蒲郡駅まえにあるコンビニでホットコーヒーを買って、町の雰囲気を堪能します。じつは地図から想像していた町と、まるでちがう感じなので驚いた。高い建物がそれほどなく、ゆったりと開放的な雰囲気で、気に入ってしまった。はじめて来た町なのに、なんとも言えない懐かしさすら感じる。さらにコンビニの周辺をふらふらしていると、海らしきものが見える。おお。
もちろん迷うことなく、近くまで行きました。蒲郡港です。すると、ちかくに島が見える。あとで調べてみたら、どうやら竹島といい、四百メートルほど離れた場所にあって、橋で渡れるらしい。さらに島全体が、神社の境内だといふ。そのむこうには三河大島なる島があって、無人島で、夏はなんと海水浴ができる。こちらは船に乗らないと行けないので、ちょっとお金はかかりますが、嬉しい。大げさでなく、天からの贈り物にちがいない。と言ふのも、夏に海に入らないと、その一年あまり元気が出ない特異体質なので、近場で泳げる場所を探していた。よかった。これで夏も安心です。
港でしばしの間ぼんやりしてから、目的地へむかいます。愉快なことに、ライブ会場は温泉郷にある。そのうえ、テニスコートのすぐそばでもある。蒲郡駅から十分ほどでせうか、ぐいぐいと坂を上って、穏やかな、落ち着いた山すそに到着。
開演時間の二時間も前に着いてしまったので、あたりをふらふら散歩しました。テニスをしている親子がいて、その先に、貯水池らしき水場がある。そこで男の人がふたり、柵を乗り越えて、釣りをしている。困ったことに暇人(私です)は、すぐに声をかけてしまうものです。なにが釣れるんですか、と訊いたみたら、バスだと言ふ。しかし、バスが釣れるらしいんですけど、ここで釣りしてる人を見かけたことがありますか、と反対に質問されてしまった。土地の人だとかんちがいさせてしまったようです。はじめて来たもので、と応えると、そうですか、(バスは)いるのかなあ、いそうなんだけどなあ、と言いながら、ひょいと上手にルアーを投げておりました。
そうして散歩しても、時間はまだ十分にある。山のふもとなので、思っていたより寒い。うむ。これはきっと、夜になればもっと寒くなるだらうと判断し、山を下りました。てきとうにオートバイを走らせると、ショッピングモールを発見。迷わずに侵入。
ここで、ようやくズボンを買いました。といっても、防水加工ぢゃないし、防寒といふには薄手のもの。しかしこの時期に持っていて損はないし、値段と見た目がちょうどよかった。これまた幸いと言ふべきでせう。
そうして開演時間をすこし過ぎてから、ライブハウス・ローズカラーに入ります。こう言ったら怒られるかもしれませんが、外から見たよりも、ずっと雰囲気のいい店でした。この日は、横浜のバンド、THE TACHOMETERS(ザ・タコメーターズ)のイベントで、六組が出演。おもしろかったのは、音楽性と言ふか、わかりやすく言えばジャンルが、六組ともちがっていた。なのに、変ぢゃない。みな、どこか通じている。あらためて、ジャンルなんてものはクソ食らえだな、と思いました。音楽なんて好き嫌いぢゃなくて、つまるところ感じるものですからね。
タコメーターズのライブは、なぜか札幌にある161倉庫で観ています。まっすぐで、ちゃんと青臭くてちゃんと深い、パンクバンド。観ていると元気になる、素敵なバンドです。そして気になったのが、風鈴ボクサーズといふバンド。へんてこで、なのに気持ちよくて、よかった。おかしな言い方かもしれないけれど、貴重なバンドだと思ふ。ほとんど活動していないのが残念。
そして、ヌルマユ永井です。この日は新曲をあまり演らなかったので、自分としては残念でした。しかし、ライブはとてもよかったです。前回に観た、鴬谷ラッキードラゴンのライブでも感じたことですが、力みなぎって、心技体がぴたっとひとつになっている。新曲も今までより幅が広がって、大きな世界を描いている。機会ある人は、きっと観たほうがいいと思ふ。
ライブが終わって、すこしだけ永井くんと話をしてから帰りました。ライブハウスを出たら街路灯もなく真っ暗で、ぽかんと満月が出ていた。しんと静かで、木々に囲まれ、深呼吸をしたくなるやうな心地よさ。うっすらと夜露に濡れたシートを拭いて、帰路に着く。思ったとおり有料道路ちかくなって気温が下がり、高速道路でも浜松に入るまで寒かった。ズボンを買っておいて正解でした。
この日はもちろんライブを観に行ったのですが、CDを手に入れることも目的でした。ヌルマユ永井の新譜「ARUGAMAMA」と「NASUGAMAMA」の二枚。ライブに行ける機会なんてほとんどないので、これで我慢しませう。
やはり、好きなことを思い切りやっている人の音楽は、素晴らしいと思ふ。好きなことをつづけながら生きている人は、素敵だと思ふ。自分もそうありたいと、思ふ。
この日は残念ながら聴けなかったヌルマユ永井の新曲を、オートバイに乗りながら、追いかけてくる満月を感じながら、歌って帰りました。
いつまで旅はつづく
空、果てしなく
風つめたく、吹きつける
歩く歩く、歩く
暗いひとかけを残し、透きとおる
人の心みたいに
(ヌルマユ永井「くらいひとかけ」より)
感謝。
# by kgnote | 2012-05-08 14:03 | □覚書 | Comments(0)
明日、連休最後の日に、ちょいと用事があって、それほど遠くではないけれど、オートバイで高速道路を走る予定です。
なのに天気予報では、どうやら雨である。なんだらう。雨に気に入られたのだらうか。雨男ぢゃないのに。それに、濡れても平気な服なんて持っていないのに。濡れても平気なカバンだって持っていないのに。
それで今日、仕方なく、近所にバイク店はないかと調べてみました。ええ、仕方なくです。なにしろ防雨ジャケットとか防雨パンツとか、必要ぢゃないですか。そうでせう。だって雨に濡れたら風邪をひきますよ。風邪をひいたら翌週から働けませんね。働けなかったら食べていけない。食べなかったら死んでしまふ。ちがいますか。そうでせう。
やはり防雨服は必要である。明日は雨だらうと嵐だらうと行かなくちゃいけない用事である。しかし、まだ死ぬわけにはいかない。仕方ない。ああ、こればかりは、やむを得ない。と自分に言い聞かせながら調べてみると、歩いて十分ほどの場所に、なんとバイク店がある。さっそく散歩がてら出かけてきました。
しかし残念ながら、気に入るものがない。
これは先日のグローブ探しでも痛感したことですが、なぜにバイク関連の服とかカバンといふものは、ああ大きく会社名や商品名を入れるのでせうか。そのうえ高価でもある。たとえばもし自分がバイクレーサーで、会社名の入ったヘルメットやジャケットやグローブを身につけて、それで出資援助してもらうのなら、文句も言ふまい。しかし残念ながら私は、ブランド名なる冠をかぶりたがる世間知らずではないし、奥ゆかしさや粋さを心から愛してやまない日本人でもある。閑話休題。
気に入るものがないとなると、ふしぎと物欲しさは増すものです。そもそもバイク専門ぢゃなくてもいいわけで、いったん部屋に戻って調べてみました。すると、すこし遠いけれどショッピングモールがある。いくつかの店舗が集まった施設。なので、オートバイで行ってみることにしました。言わずもがな。乗りたかっただけです。
およそ三十分の道のりを、やはり軽快に走りました。が、信号待ちで、ふとガソリン臭がする。気のせいかなと思いながら、ショッピングモールに到着。オートバイを停めて、驚きました。なんと、キャブレターからガソリンが漏れているぢゃありませんか。南無三。
前回、東京にいた時とおなじ症状ですが、ちゃぱちゃぱ、といふ程度で、ひどくはない。それでも、漏れていることに変わりはない。慌ててタンクのコックを閉める。しかし私の心持ちが、前回とちがいます。途方に暮れることなく、慌てたりもせず、ひとしきり、うむむむと、うなった後、そのまま買物へ。
もちろん、近いうちにもう一度キャブレターをばらさなくちゃいけないかな、とは思いました。しかし今は、どうすることもできない。だったら、とりあえず買物をしてから落胆しよう、と思ったわけです。うむ。人間は成長するのです。
ちなみに欲しいものは、濡れても平気なジャケット(腰までの上着ですね)と、やはり濡れても平気なパンツ(薄いもの)。さらに、濡れても平気な靴(今は革靴を一足しか持っていないので)と、濡れても平気なカバン。なんとも欲張ったものです。
しかし結論から言えば、それら何ひとつ買いませんでした。びびっ、と来るものがなかった。上着やパンツは、やはりどうもデザインが気に入らない。カバンは、ちょうどいい大きさと素材のものがない。靴は、まるでお話になりません。
もちろんショッピングモールなので、全国展開しているお馴染みの、首都圏と変わりない店があります。しかしその品揃えは、かなり限定されている。テレビニュースなどで、東京に行って買物をする、なんて人を見たことがありましたが、納得させられました。
思い出してみれば自分も、たとえばアメ横をふらふらしながら何軒か見てまわったし、なによりカバンは、自分でつくっていた。困ったなあ、と思いながら店の外に出て、煙草を吸う。その時に買った缶コーヒーが、唯一の買物となったしだい。
それから意を決してオートバイのそばへ行き、こわごわタンクのコックを開けてみました。すると、なんとガソリンは漏れない。うむむむ。さてはまた、オートバイくんが意見したのでせうか。たとえば、にわか仕込みの遠州弁で。
なんも買わなくていいに。どしたって俺は濡れるじゃんね。
そういったしだいで、明日は自分も濡れることになりました。どうか、それほどひどい雨ぢゃありませんように。
※ にわか仕込みの遠州弁は、本当にあっているのかわかりませんので。あしからず。
# by kgnote | 2012-05-06 02:20 | □オートバイ | Comments(2)
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